信仰が壊れ、とうとう裁かれたこと

私はRAPTブログに出会い、神様の存在を知って、RAPTブログを読んだり、聞いたりしているうちに神様を信じてみようと思い、御言葉通りに信仰をするようになりました。

けれども、信仰がまだ幼い頃に自分を過信してしまい、間違った道を進み続け、信仰を破壊してしまったのです。

信仰が破壊されている間は、神様のことを忘れ、神様から遠く離れ、自分の考えだけで生活をしていました。

神様を信じていない多くの方は、神様から遠く離れ、神様とは関わらず、自分の考えで生活することは当たり前です。

でもそれがいかに不幸なことなのか、私は改めて知ることとなりました。

 

先日書かせていただきましたが、私は派遣契約の期間が残り1か月という時に、いきなり会社からもう契約しないと言われ、いわゆる派遣切りというものにあったのです。

凄くショックを受けたのですが、直ぐにでも次の仕事を探さなくては食べて行くことが出来なくなります。

そのため、仕事探しを始めました。

1社目は……色々ありましたが、2社目で派遣の仕事が決まりました。

今度の派遣先は、残業は殆どなく、仕事も慣れると簡単で、時間が余り過ぎてどうしようっていうくらいです。

 

そして仕事に慣れてきたころの2023年から私に不幸が訪れるようになったのです。

 

毎日毎日不安と心配で心が押しつぶされ、涙を流す日もありました。

それでも自分に大丈夫だと言い聞かせ、苦しい気持ちを心の奥に押しやり、仕事中はおくびにも出さず、作り笑いがバレないように毎日をやり過ごしていました。

 

そして2月のある晴れた日に、私は大切なものを失ったのです。

 

本当に悲しくて、悲しくて、ずっと泣いて過ごしていました。

でも仕事を休むわけにはいかないのです。

働かなくては食べていけないのです。

だからまた仕事中は悲しみと苦しさを心の奥に無理やり押しやり、悲しみを微塵も見せないようにして日々を過ごしていました。

本当に辛くて苦しかったです。

あの日を思い出しながら、これを書いている今も少し涙が出てしまいました。

 

そして3カ月を過ぎた頃からやっと悲しみにも慣れ、毎日悲しんでいたのが3日に1回とか、1週間に1回とかと思い出すことが少なくなって来たのです。

それまで本当に本当に苦しかったです。

自分を責めて、責めて、消えて無くなりたいと何度思ったか……。

 

本当にお正月が終わる頃からガラリと変わったのです。

でも当時の私は信仰が破壊されており、御言葉を聞いていなかったので、裁かれているとも思わず、ただひたすら悲しみに暮れながら、日々をなんとかやり過ごしていました。

 

今思うと、RAPTブログでRAPTさんが宣布してくださる御言葉通りに、本当に裁かれていたことが分かります。

神様に立ち返ってからRAPTブログをまた購読するようになり、御言葉を聞くようになりました。

そこでようやく裁かれていたことを知ったのです。

本当に愚かです。

 

2023年から羊と山羊とに分けられ、羊には祝福を、山羊には裁きを与えるとありますが、私は山羊だったので、本当に裁かれていたと分かりました。

それと御言葉を聞くうちに導かれていたということも分かりました。

この「永遠に朽ち果てない神様の愛に心の拠り所を置きなさい」という御言葉を聞いた時に、御言葉が心にストンと落ちたのです。

私は朽ち果てるものを心の拠り所にしていたのだと知り、神様の愛を心から悟ることが出来ました。

神様の愛を悟った瞬間、悲しみから本当に解放されたのです。

 

私は今回のことを通して、人類は神様の愛から離れて生きることが、どれほど辛く苦しい事なのかを改めて知ることができました。

そして神様の愛がどこまでも深く、喜びと平安をもたらしてくださることを実感することができました。

 

本当に多くの人々が神様の愛を知って、幸せになれますよう心からお祈りいたします。

 

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